御船遊管絃祭(金崎宮)

今年も金崎宮の管絃祭が執り行われました。

今年は天気がよく、暑いくらいの中、たった今、会社の前を御一行様が御船に乗りに出かけられました。

はるか昔、会社の前は馬に乗った武将が、足軽達が行き来していたのでしょうか?

延元元年1,336年10月、後醍醐天皇は新田義貞に命じ、金崎宮の御祭神である尊良(たかなが)親王、恒良(つねなが)親王を奉じて北陸に下向。気比神宮の大宮司気比氏治に迎えられ、金ヶ崎城に入れられたが、ここも足利軍の攻めるところになった。しかし一旦兵が退いた10月20日、両親王をお慰めしようと敦賀湾に管絃の船を浮かべて紅葉を愛で月を賞した、といわれているそうな・・・

昔は子供の遊びにゲームやTVなんか無く、季節の移り変わりを愛で、それでお慰めできたのか・・・(-“-)。

うちも、この前の満月の日、スーパーで「母さん、お月見団子買って、お月見しよう!と4歳児に言われ、

「(保育園で仕入れた情報か?!(^^)!)よく知ってるね~」といったものの、目の前の棚には柏餅しかなく、

「〇ちゃん(息子)、柏餅好きやな~、柏餅買おっか」、で帰宅。

夕食の後、カーテンを開け、外を向いて正座し、

息子:「お月さん、まん丸やねー明るいなー宇宙は高いなー・・・ちゃんと月見なあかんで」と注意されながら母はテレビを見ながら柏餅を頂きました。

今まで不思議に思わなっかったけど、毎年親王役の男の子は一人・・・上記のいわれでは親王は二人・・・

今度宮司さんに聞いてみよう。(甥っ子も数年前、親王役で参列しました。)